たろのプロフィール

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自己紹介


大阪府在住アラサー真っ只中のブロガーです。性格は真面目系クズで、自分からガツガツいくのが未だに苦手な内向型人間。



大人数でワイワイするよりも、自分1人で何かをやってる方がめちゃめちゃ癒されます。そう、いい年して一人が大好きなどうしようもないおっさんです。



たろの欠点として、大人数のグループでのコミュニケーションが取れません。6人以上になると脳がパンクしてあうあうあー状態になります。



1対1や3~4人のグループなら支障なくコミュニケーションを取れますが、それ以上の人数になると何話せば良いかわからなくて、黙り込みます。



ここまで相当ポンコツな自己紹介になりましたが、プロフィールを以下のタイムラインで紹介します。


学生時代


ここから内向型人間が始まる。小学校でクラブ活動に入らされたが、僕はオセロクラブに入った。特にオセロが好きな訳でもなく、「ただ楽そうだから」の理由で入る。



クラブでは熱中する訳でもなく、学校が終わったらゲームをしに家に帰るのが日課。とにかくゲームをするのが大好きだった。



当時はゲームボーイ、スーパーファミコン、プレイステーション、セガサターンなどがあって僕の中ではゲームの黄金時代だった。その時代を生きていた僕には、何で好きなことを我慢してまで、あんまり興味ないことをやらなければならないのかと思った。



とにかく好きなことをやるのが最優先だった。この体質は高校生まで引きづり、真面目系クズの原型が出来上がっていく。



大学に進学してからは自由な時間も増えたが、ゼミやサークル活動が苦痛で仕方なかった。集団で活動するよりも独りで活動するのが楽しいのだ。



いくら大学の中とは言え、集団になればそこには人間関係が生まれる。上下関係はあるし、空気を読む力も試される。



お金が発生する訳でもないのに真剣になってるのが馬鹿馬鹿しく思え、積極的に打ち込むことはなかった。


19歳の時に親父が自殺して人生は何なのか考えるようになる


このように学生時代はぐうたらな生活を送っていたが、19歳の時にある事件が起こる。それは親父が自殺したこと。


家庭では親父と冗談を言い合うほど仲が良く、小中学生の頃は頻繁に東京の浅草にある遊園地「花やしき」に連れていって貰ったり、一緒に卓球をしに行ったりもした。

そのくらい親父と一緒にいると楽しく充実した時間だった。しかし、一つだけ親父と話せなかったことがある。それは親父の仕事のことだ。

親父は精密機械の部品を製造してる工場で工員として働いていたが、どんな仕事をしてるのか、職場はどんな感じなのかと聞いたり、親父から話すこともなかった。

僕が19歳の頃は、親父は定年になり再雇用の契約社員として働くことになっていたが、後から聞いた話では契約社員の給料が正社員の頃の半分以下に減り、一転して生活が苦しくなることが明らかに。

そして、自殺前日の日に親父から「たろ、もう俺駄目かもしれん。後は自分で頑張って精いっぱい生きてくれ。俺みたいな駄目オヤジでほんとごめんな」と自殺をほのめかすことを告白され、僕の頭の中は完全に真っ白に。

その後必死に「頑張ってよ!死んじゃダメだよ!」と説得したものの、翌朝起床して気付いたら親父がいないことが発覚。「まさか」と思ったら、午前中に警察から「お宅のお父さん方が亡くなってるのが発見されました」との連絡が。

その日は1日中泣いた。人生で一番泣いていたかもしれない。あれ以来、頑張って40年夜勤をしながら働いた結果が自殺って人生って何だろうと思うようになり、サラリーマンに対する見方が徐々に変わっていった。


社会人時代


社会人になってからは、時間に縛られるのが時々苦痛に感じた。社内の人間関係、社外の取引先との関係、多方面と関わる仕事をしていたのでストレス解消が大変だった。ただ、お金が得られていたから我慢することも出来た。



この時に学校生活で我慢を強いられるのは、社会人生活を慣らす為に敢えてさせていたのだと気付く。

それと同時に、ストレスを感じながらも40年がむしゃらに働いてきた親父の偉大さも感じた。しかも夜勤で生活バランスを逆転した生活を40年も続けたのだから、更に親父には頭が下がってしまった。

そしてずっと我慢してもストレスがどんどん生み出される一方で、体調を崩したり胃が痛くなってしまい、身体の悲鳴を直に感じてピタッと考えが変わる。

今までは我慢すれば報われるきっと良いことがあると思ってたりしてたのだが、それ以降「何で自分の身体を犠牲にしていいように扱き使われなきゃならんのか」と思うようになり、次第に自分で納得させることが出来なくなった。

そして、会社や家の都合で住む場所が限られるのに疑問を感じ、終いには縛られた人生が嫌になって、仕事を辞めて好きだった関西に移住する事を決意する。

ここから自分主体の考え方に変わり、限られた時間の中で最大限満足できる人生を送りたいと思うようになった。


関西に移住した理由


関西に移住しようと思ったそもそものきっかけが旅行だ。旅行で初めて京都と大阪へ行った際、会話の仕方やイントネーションが全く違うことに衝撃を感じてしまった。



テレビで見てた関西弁と関西人の会話を、そっくりそのまんま直に体験してカルチャーショックを受けてしまい、関西への異常な興味が湧いてしまう。



今までとりとめのない、オチの無い話をずっーとしてきた関東人にとって、オチやボケに対するツッコミを果敢に実行する会話が衝撃的すぎたのだ。



また例える時、異常な程に擬音を使用する例え話も強烈過ぎた。

縦列駐車の例え話をする際なんか「ここはな、グィイイーンて曲がって、キュッと締めて、ガシャーンと前へ突っ込めば駐車できるから!」みたいな感じで言うので、全くちんぷんかんぷんだった。



その他に、道案内をしてる時とか「そこへ行くにはな、二つ目の信号バッと曲がって、突き当りのところを右にしゃっーと言ったら着くで」と擬音のコラボレーションが発動し、そうした関西人の話を聞いてる内に次第に住んでみたい欲求が湧いてしまう。



そして、関西に移住したら自分がどんな人間になるのか、自分自身を試してみたくなった。

エセ関西弁を話すうっとおしい鬱陶しい関東人になるのか、それとも関西人も認める元関東人現関西人になるのか、若しくは斜め上の変人になってしまうのか、壮大な人体実験をしてみたくなったのだ。



現在まで


関西に移住してからは、知人がどんどん増える謎の循環が生まれ、関東在住時代との逆転現象が発生中。



最初は文化の違いにかなり戸惑ったが、ようやく少しは馴れるようになってきた。



しかし未だに関東弁が抜け切れず、同じ関西人として認められないエセ関西人になっている。少し話すとこいつ関東人や!と直ぐにバレる。


関西弁のイントネーション奥が深すぎるぞ!



引越すまでは関西人の特徴をきっちりリサーチしたつもりでしたが、実際に暮らすと関東人とのギャップを感じる事があります。 関連記事...

今後実現したいこと


アラサーに突入して夢とか語ってるような年頃ではないが、それでも目標は持ち続けたいもの。目標を持つことは、仕事にしてもブログをやっていく上でもモチベーションの維持に繋がる。



現在大阪で自宅を構えているが、今後は大阪だけでなく東京にも自宅を構えたい。やっぱり自分の生まれ育った土地の空気は、定期的に吸っておきたい。



関西に移住してから以前よりも関西は好きになったが、同じくらいに関東の良さと魅力を再発見した。



それに地方へ移住して住居を構えるブロガーはいるが、複数の地域で住居を構えるブロガーがあまりいないことに気付く。これ出来たらめちゃめちゃレアキャラなのは間違いない。



どんだけ金掛かんねんってツッコまれそうだが、それが実現できるよう経済力を磨き上げていく。



たった一回の人生、どんだけ馬鹿にされようがチャレンジしなきゃ損じゃん?



このブログの目的


僕の浅い人生経験で得た知識を披露し、よそ者から見た関西の生活に関する情報、転職や一人暮らしの情報、移住して得られたノウハウを発信する雑記ブログです。



これまでの過去の自分の経験と、現在進行形で体験したことを頭の中にストックしたままにするのは勿体ないと思い、誰かの為にその経験を還元していきます。


もし僕の薄っぺらい経験や知恵が、ほんのちょっとでも為になったらこれ以上にない喜びです。



因みに、東京から四国に移住した某カリスマブロガーとは関係ありません。ってかブログやり出してから初めて知りました。結構たろと似てますな。移住するなら都会が一番!


よく移住の目的で、都会の人混みに疲れた、静かな環境で暮らしたい理由で移住を考える人がいるようですが、僕には全然理解できません。 ...



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